バックミラーに映った、ある乗客の話
夜の9時過ぎ、タクシーに乗ってきた70代の男性が、信号待ちにぽつりと言った。
「年金は月12万円ほどもらってるんだが、なんかいつもギリギリでね。でも贅沢してるわけじゃないんだよ」
私はハンドルを握りながら、心の中でうなずいた。
月12万円。年間にすると144万円。これは住民税非課税世帯の境界線の内側にいる数字だ。
この金額に収まっていることで、その男性は気づかぬうちにさまざまな「恩恵」を受けているはずだった。でも、ギリギリであることに変わりはない。
そこで今回お話ししたいのが、「住民税非課税世帯の地位を守りながら、手元の現金を増やす方法」──NISAの使い方だ。
まず「住民税非課税世帯」とは何かを確認しよう
住民税非課税世帯とは、世帯全員の住民税が非課税になっている世帯のことだ。
年金受給者にとって、非課税になる年金収入の上限(東京23区・1級地の場合)はおおよそ次のとおりだ。
世帯の状況 年金収入の目安上限 65歳以上・単身 155万円以下 65歳以上・夫婦世帯(世帯主) 211万円以下 配偶者(65歳以上・被扶養) 155万円以下
※住む地域の「級地」によって193万円・203万円となる場合もある。
この「壁」の内側にいると、何が得られるか。
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住民税がゼロになる
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国民健康保険料・後期高齢者医療保険料が減額される
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介護保険の自己負担が軽くなる(高額介護サービス費の上限が下がる)
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政府の給付金(物価対策など)の対象になりやすい
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高額療養費の自己負担上限が低くなる
これらを合算すると、年間で数十万円規模の「隠れた手取り増加」になっていることがある。
だから、「ちょっと年収を上げよう」とうっかり壁を越えることは、かなりの損になる可能性がある。
問題は「非課税のまま、どうやって手元を豊かにするか」だ
ここに、NISAが効いてくる。
通常、株式や投資信託で利益が出ると、20.315%(所得税・住民税の合計)が課税される。100万円儲かっても、手元に残るのは約80万円だ。
ところがNISA口座内の利益は、所得に算入されない。
これが決定的に重要なポイントだ。
課税口座で株を売って利益が出れば、その利益分だけ「所得」が増え、場合によっては住民税非課税世帯の壁を越えてしまう。そうなると冒頭で述べた恩恵がまるごと失われかねない。
しかしNISA口座の売却益・分配金・配当金は、所得税も住民税も非課税で、確定申告も不要。つまり住民税の課税判定に一切影響しない。
年金収入が「壁の内側」に収まっていれば、NISAの運用益がいくら出ても、住民税非課税世帯の地位は揺るがない。
これがNISAと老後設計の「組み合わせの妙」である。
具体的なイメージで考えてみよう
仮に次のような条件を想定する。
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70歳・単身
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年金収入:月12万円(年144万円)=住民税非課税世帯の範囲内
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NISA口座に2000万円の積み立てがある
この2000万円が年3%で運用されているとすれば、年間約60万円の運用益が生まれる。
課税口座ならここから約12万円が税金で消えるが、NISAならゼロ。そして所得にも算入されないため、各種保険料の軽減も維持される。
さらにいざというとき、2000万円のうち100万円を取り崩したとしても、その売却益には課税されず、所得も増えない。
年金144万円+NISA運用益60万円=実質204万円相当の生活原資、それでいて住民税非課税の恩恵はそのまま。
これが、NISAを「老後の静かな味方」と呼ぶ理由だ。
新NISAの主要スペックを確認する
2024年(令和6年)1月からスタートした新NISAの主要な仕様は以下のとおりだ。
項目 内容 非課税保有限度額 1,800万円(生涯) 年間投資上限 つみたて投資枠120万円+成長投資枠240万円=計360万円 非課税保有期間 無期限 売却後の枠 翌年に復活する
非課税期間が無期限になったことで、老後に使いながら運用するという戦略が現実的になった。
「今さらNISAを始めるには遅い」と思っている方へ
60代・70代でNISAを始めることをためらう人は多い。「運用期間が短い」「リスクが怖い」という声をよく聞く。
しかし、考え方を変えてほしい。
NISAは「増やす」ためだけの道具ではない。「課税されずに取り崩す」ためにも使える。
老後資金をすでに持っている人が、それを課税口座から新NISA口座に「移し替える」感覚で使う方法もある。売却・再投資のコストはかかるが、以後の運用益が非課税になるメリットは長く続く。
また、リスクを抑えたバランス型ファンドや債券比率の高い投資信託を選べば、価格変動を小さく抑えながら運用することも可能だ。「全額株式」でなければならないわけではない。
「壁を越えたとき」に失うもの——金額で比較する
ここまでNISAで壁を「守る」話をしてきた。では逆に、壁を越えてしまったとき、実際にいくら損をするのか。具体的な数字で整理しておこう。
① 高額療養費制度——外来の月額上限が2倍になる
70歳以上の場合、高額療養費の外来(個人)上限額は以下のように異なる
月額上限(外来・世帯)
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住民税非課税世帯:外来11,000円 、月額上限は 25,700円 。
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住民税課税世帯:外来22,000円 、月額上限は 61,500円~(所得に応じて上がっていきます)。
外来の月額差・年間差
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月額上限の差は(22,000円 − 11,000円 =)11,000円、年間換算では最大 13万2,000円 の差となります。
年間上限(外来特例)
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年間上限の差は(530,000-290,000=)240,000円 となります。
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入院時の世帯上限差(月額・年間)
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月額の差は(61,500円 − 25,700円 =)35,800円 となります。
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年間換算(12ヶ月)の最大差額は、35,800円 × 12 = 429,600円 になります。
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② 高額介護サービス費——月の上限額が約1.8倍に跳ね上がる
介護保険サービスを利用した場合も、住民税非課税かどうかで自己負担の上限が大きく変わる。
区分 世帯の月額上限 住民税非課税(第2段階) 24,600円 住民税非課税(第3段階) 24,600円 住民税課税世帯(一般) 44,400円
月の差は最大19,800円。介護サービスを毎月フルに使い続ける状況になれば、年間で約24万円の負担差が生じる。在宅介護でもデイサービスや訪問介護を組み合わせると、この差はすぐに現実の問題になる。
③ 後期高齢者医療保険料——所得に応じて均等割りが7割、5割、2割軽減
75歳以上が加入する後期高齢者医療制度では、世帯の所得が低いほど保険料の均等割が軽減される。(詳しい金額は自治体ごとにご確認ください)
④ 臨時給付金——対象者になれるかどうか
政府が物価高騰対策として行う給付金は、ほぼ例外なく住民税非課税世帯を対象にしている。
直近の実績を見ると、2024年度(令和6年度)は新たに非課税になった世帯に10万円が給付された。2024年度の価格高騰重点支援給付金として1世帯あたり3万円も支給されている。こうした給付は不定期・単発だが、「非課税世帯である」という条件を満たしていれば自動的に対象になる可能性が高い。
壁を越えて課税世帯になった瞬間、これらの給付金は対象外となる。
総合試算——壁の内外で年間いくら違うか
上記を大まかに合算すると、次のような差が生じうる。
高額療養費 最大約43万円
高額介護サービス費 最大約24万円
後期高齢者医療保険料(7割軽減の場合) 軽減あり/軽減なし 年3〜4万円
給付金 数万円〜10万円(単発)
医療・介護・保険料だけで、年間70万円以上の実質的な差になることもある。
これを念頭に置くと、「もう少し年収を上げたい」という気持ちで壁を越えることの損得が、冷静に見えてくるはずだ。
ただし、誤解しないでほしいのは「壁を守ることが絶対に正しい」わけではない、ということだ。
上記はあくまで「無意識に壁を越えた場合の損失」の試算だ。
自分の実際の年収・医療利用頻度・介護の見通しと照らし合わせて、個別に判断することが重要だ。
FP・行政書士の視点から一言
私はファイナンシャルプランナーとして「老後のキャッシュフロー設計」の相談を受けることがある。
その中で気づくのは、「住民税非課税世帯かどうか」という判定が、実は医療費・介護費・保険料を通じて何十万円もの差を生むという事実を、当事者がほとんど知らないということだ。
年金が少ないことを嘆く前に、「少ないからこそ得ている恩恵」を守りながら、NISAで静かに上乗せする。
これが、令和の老後戦略の一つの答えだと、私は考えている。
まとめ
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年金収入が「住民税非課税世帯の壁」の内側にある人は、医療・介護・保険料で大きな恩恵を受けている
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壁を越えると、高額療養費・高額介護サービス費・保険料軽減・給付金を合わせて、年間70万円超の実質的な損失が生じうる
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NISA口座の運用益は所得に算入されないため、いくら利益が出ても非課税世帯の地位に影響しない
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「年金+NISA取り崩し」で生活費を賄う設計により、壁を守りながらゆとりをつくることが可能
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2024年からの新NISAは非課税保有期間が無期限になり、老後の取り崩し戦略に適している
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ただし壁を越えてでも収入を大幅に増やせるなら、トータルでプラスになる場合もある。個別のキャッシュフロー計算が不可欠だ
老後の設計は、「稼ぐ」だけが答えではない。「守りながら積み上げる」。NISAは、そのための道具の一つだ。
このnoteはFP小川が執筆しています。個別の税務・投資判断については、税理士への相談をおすすめします。


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